
灯りの消えた一軒
夜更けの帰り道に、一軒だけ灯りの消えた家がある。表札はあるのに、窓の奥は塗りつぶしたように暗く、人の気配だけが抜け落ちている。誰も住んでいないのだろう。わたしはそう決めつけて、いつも通り過ぎてきた。
けれど、ある晩に足が止まった。暗いということと、無人であることは、同じではない。灯りをつけない理由なら、いくらでもあるからだ。
この小さな違和感を、わたしは夜空へ持ち上げてみたくなる。星のまたたく空の、その星と星の隙間――何もないように見える、あの真っ黒な余白のことを。
どの星にも属さない
わたしたちは、惑星といえば太陽のような恒星を巡るものだと思っている。地球が太陽を回るように、惑星には必ず中心の灯りがある、と。ところが、どの恒星にも属さず、たった一つで暗闇を漂う惑星質量の天体がある。
それを、自由浮遊惑星――あるいは、はぐれ惑星(rogue planet)と呼ぶ。重力的にどの星にも縛られず、暖める太陽も、照らす昼もないまま、星間空間をひとりで進んでいく。恒星のそばで生まれたのちに弾き飛ばされたのか、それとも初めから連れのない身だったのか。行き先も告げずに夜道を歩く、あの人影のようなものだ。
そこには、朝が来ない。恒星に照らされないその世界の空には、昼というものがそもそも存在しない。表面は身を切るように冷たく、見上げても暖かな光の源はどこにもない。永遠に明けない夜のなかを、ひとつの惑星がただ進みつづける――そう聞けば、暗い道の一軒家が、急に途方もない距離を隔てて感じられてくる。
灯りは、存在の証明ではない。
自由浮遊惑星とは
どの恒星にも重力で束縛されず、単独で星間空間を漂う惑星質量の天体を指す。中心に灯りとなる太陽を持たないため、可視光ではほとんど姿を見せない。「はぐれ惑星」「浮遊惑星」とも訳される。
探偵は、見えない光を数える
灯りを持たない相手を、どうやって見つけるのか。ここで科学が探偵役に回る。手がかりは、天体そのものの光ではなく、その重力が背後の星の光を一瞬だけ歪める現象――重力マイクロレンズだ。暗い天体が遠い星の手前をよぎると、背後の光がわずかに強まる。姿は見えなくても、通り過ぎた「気配」だけは、確かに残る。
厄介なのは、その気配がたいてい一度きりだということだ。孤立して漂う天体が、同じ星の前を再びよぎることは、まず望めない。手前を通り過ぎた一瞬の増光を取り逃せば、証拠は二度と戻ってこない。だから探偵は、空の広い範囲をひたすら見張り、通りすがりの気配を根気よく拾い集めるほかない。
こうした観測から、自由浮遊惑星は銀河系にかなり多く漂っていると考えられている。ただし「どれだけ」の部分は、観測が積み上がるたびに書き換わってきた。2011年の観測は、木星ほどの重さのものが恒星1個あたり2個ちかくあると見積もった。ところが6倍の統計を積んだ2017年の観測は、その数字を打ち消して「恒星1個あたり0.25個以下」という上限を示している。もっと軽い天体まで数えれば総数は数十億から数兆と幅があり、まだ絞りきれていない。
星のあいだの黒い余白は、空っぽの背景ではなかった。むしろ、そこにこそ数えきれない住所不明の家が建っている――そう考えるほうが、今の観測にはよほど近い。これは怪談ではなく、天文学が真面目に手にしている見取り図だ。
闇の中で、二つ並んで
謎は、さらに奇妙な方へ折れ曲がる。2022年の暮れ、ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡(JWST)がオリオン大星雲を覗いた。その画像を解析したピアソンとマコーリアンが翌2023年に報告したところによれば、見つかった540個の惑星質量の天体のうち、40組が二つ寄り添って対になり、さらに2組は三つ組をなしていた。それぞれの重さは木星の0.7倍から13倍ほど。二人はこの連星のように振る舞うペアを、JuMBOs(Jupiter-Mass Binary Objects、木星質量連星天体)と名づけた。
厄介なのは、これが今までの理屈にうまく収まらないことだ。恒星は、ガスと塵の雲が自らの重みで縮んで生まれる。惑星は、その恒星をとりまく円盤の中で育つ。けれど木星ほどの軽さの天体が、恒星も持たずに、しかも二つ揃って生じる筋道は、既存の星形成・惑星形成の理論では説明が難しい。
灯りのない家が一軒あるだけでも不思議なのに、その暗い家が、二軒ぴたりと寄り添って建っている。誰が、どうやってその二軒を並べたのか。
——ところが、話はそこで終わらなかった。同じJWSTのデータを別の研究者が解析し直すと、JuMBOsとされた天体の多くは、塵に赤らんで見えていた背後の星に一致した。電波でも捉えられて有力視されていた一組は、太陽の0.1〜0.15倍ほどの重さを持つ、ただの遠くの恒星だった。2025年には分光の観測でも同じ結論が重ねられ、いま確かな候補として残っているのは、ごく一部にすぎない。
表札を確かめに行ったら、二軒目のほうは、そもそも家ですらなかったかもしれない。夜道で見た並びが、遠くの街灯と手前の窓とが重なっただけの、奥行きの錯覚だったように。
灯りがなくても
ここで、もう一つの問いが頭をもたげる。中心に太陽を持たない世界に、温もりは残りうるのか。
手がかりはある。天体の内部には、放射性元素が崩壊するときに出す熱が蓄えられている。近くに大きな天体があれば、その引力に揉まれて生じる潮汐熱もある。こうした内側の熱で、厚い氷の下に液体の水――地下海を保てるなら、外に太陽がなくても、水と熱と時間のそろう場所が生まれるかもしれない。
ただし、ここは慎重に線を引いておきたい。灯りのない惑星の地下海に生命がありうるという話は、研究者のあいだで真面目に議論される「可能性」であって、確認された事実ではない。地下海そのものが本当にあるのかも、そこに生命が宿るのかも、まだ分かっていない。わたしは、匂わせはしても、嘘はつかないと決めている。
解けない残余
恒星に属さない世界が実在し、銀河に数多く漂っていることは、もう疑いにくい。けれど JuMBOs のほうは、問いそのものが移ってしまった。いま問われているのは「あの二つがどう生まれたのか」ではなく、「そもそもあの二軒は、本当に並んで建っていたのか」だ。地下海に生命がありうるかも、確かめられていない仮説のままだ。
夜道の途中、灯りの消えたあの家の前で、わたしはもう一度足を止める。窓の奥はやはり真っ暗だ。それでも今夜は、暗いから空っぽだと決めつけずにおく。次に見上げる夜空の、星と星のあいだの闇のことを思いながら。灯りのない家に、住人がいないとは限らない。
参考 · Rogue planet (Wikipedia) — 個数推定の変遷(2011年 Sumi ほか/2017年 Mróz ほか) · Pearson & McCaughrean (2023) “Jupiter Mass Binary Objects in the Trapezium Cluster” — JuMBOs の報告論文 · Luhman (2025) “JWST Spectra of Brown Dwarf Candidates in the Orion Nebula Cluster” — 再解析 · Jupiter-mass binary object (Wikipedia) — 論争の経緯